いかなる黄金をもってしても自由を売り渡してはならない


 

クロアチアの最南端に位置するドブロヴニクは、周囲に堂々たる鉄壁の城壁を持ち、オスマン・トルコの支配や隣国による絶え間ない幾多の侵略の危機を乗り越えてきました。

1991年には、クロアチアが独立を宣言したことによる内戦が勃発し、ユーゴスラヴィア連邦軍やセルビア人による容赦のない攻撃を受けました。被害は街の背後にあるスルジ山にも及び、ロープウェイや山頂駅も破壊され、美しきドブロヴニクの街は危機遺産リストのひとつに加えられました。

クロアチア独立戦争は、国内に多くのセルビア人が居住していたことから泥沼化し、独立後も1995年まで長期に渡って戦争が継続、旧市街の約8割が焼けました。

内戦後に平和が戻ると、ドブロヴニクの市民たちは戦争でかろうじて残った瓦を再利用して修復・復元し、新しい瓦と組み合わせながら街を元通りに再建していきました。内戦の悲劇を乗り越え、3年後の1998年にはようやく危機遺産リストから脱することができました。

 

千年にも渡って自由を守り続けてきた自由都市国家のドブロヴニク。そんなドブロヴニクの市民に生きづいている誇り高き理想があります。

 
いかなる黄金をもってしても自由を売り渡してはならない
Non Bene Pro Toto Libertas Venturi Auro

 

14世紀から16世紀にかけて何度も修復され、旧市街を西側から守ってきたロブリイェナツ要塞の入り口にラテン語で刻まれている文字です。

古くの時代から育まれてきた自由という宝は、いまもなおドブロヴニクの市民の努力によって守られ続けているのです。

 

 

 
 
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